フォト

フォトアルバム 「北海道の風景」 

  • 16 新冠町 「繁殖牝馬」
    かつて愛用していた「Canon IXY DIGITAL500」で撮影した、「北海道の風景」です。

フォトアルバム 「東京の風景」

  • 05 「子供地蔵」
    かつて愛用していた「Canon IXY DIGITAL500」で撮影した、「東京の風景」です。

フォトアルバム 「春」

  • 05 「船場川を泳ぐ鯉」
    かつて愛用していた「Canon IXY DIGITAL500」で撮影した、「春の写真」です。
無料ブログはココログ

GoogleAdsense

  • GoogleAdsense

« 『男の修行』 | トップページ | ブログをはじめてから3ヶ月になりました♪ »

2017年9月10日 (日)

新社会人として働いた神戸の製版会社と、「阪神・淡路大震災」の体験。

Img_0356


私は、「神戸市」で生まれました。

写真は、5歳のころまで家族と住んでいた、神戸市北区の鈴蘭台の街並みです。



高校卒業後、経済的事情により大学進学を断念した私は、20歳の成人式を迎えたあとに、神戸市内の長田区にある製版会社に就職しました。

バブル景気の終末期に差し掛かっていた90年代初頭のそのころは、新卒でなく未経験であっても年齢が若ければ、中小企業ならたいていの会社が正社員として採用してくれた時代だったので、アルバイト経験しかなかった当時の私も、面接を受けたその場ですぐに採用となりました。


アルバイトではなく、正社員として採用された私は、晴れて「社会人」となりました。

「スキャナシステム課」に配属された新人の私は、先輩社員の指導を受けながら「製版業務」に携わりました。

「製版」とは、印刷物の原版となる「版下(はんした)」を製作する仕事です。

当時は、「レタッチマン」と呼ばれる専門の職人たちが、依頼主の企業や団体などから送られてきた指図書をもとに手作業で版下の作成を行っていました。

私が勤めていた製版会社では、「C(シアン)」・「M(マゼンタ)」・「Y(イエロー)」・「K(ブラック)」の4色のインキ(4色のインキ以外にも、「金」や「蛍光色」などの「特色」のインキも存在します)を重ねて「色」を表現する「プロセスカラー」と呼ばれる手法を用いた、「オフセット印刷」を行っていました。

スキャナシステム課の私が行っていた仕事は、依頼主から送られてきた「透過原稿」(ポジフィルム・ネガフィルムなど透明な素材に被写体が撮影されている原稿)と「反射原稿」(紙などの不透明な素材に画が印刷されている原稿)を、業務用の大型スキャナで撮影し、C・M・Y・Kの4色の版に分解して、ネガフィルムとして出力することでした。


少し専門的なお話になりますが、アナログの光学式レンズが用いられているスキャナでそのまま原稿を撮影しても、もともとの原稿の色合いとは若干異なって撮影されてしまいます。

とくに、「赤」や「肌色」などがそうでした。

そこで、出来上がった各色のネガフィルムの「網点(あみてん)」を「ルーペ」で詳細に確認し、「カラーチャート」を用いて見本原稿と照らし合わせながら実際の原稿の色に極力近づけることが、私たち「スキャナオペレーター」の役目でした。

「網点」とは、C・M・Y・Kの各版に印刷されている「ドット(点)」のことで、この網点の大きさの比率を変えて4色の版を合成させることで、実際の印刷物の「色」を表現しています。

絵の具を使って画用紙に絵を描くとき、パレットに出した絵の具をいろいろ混ぜて、絵の具の分量を調節して、自分が塗りたい「色」を作りますよね?

あれと同じような原理です♪


網点の大きさの比率は、0パーセント~100パーセントの値で表されます。

「Y100%」なら、「黄色100%」です。

余談ですが、「網点100パーセント」のことを印刷用語で「ベタ」と言います。

たとえばこれを、「Y100%」+「M100%」のように混ぜると、専門用語で「金赤(キンアカ)」という、昔の郵便ポストのような「朱色がかった赤色」になります。

こんな色です→「金赤」(実際のキンアカは、単純にY100+M100を合成した色ではないみたいですけどね)


では、C・M・Yのインキをそれぞれ100%混ぜると、理論上では「黒」になるはずなのですが、実際には印刷用インキの発色上の特性のために、印刷されたときは真っ黒にはならないので、「K(ブラック)」インキを混ぜて使います。

じゃあ、最初から「K100%」だけにすればいいんじゃないか? とも思うのですが、これもインキの発色上の特性により、ブラックインキ単色だと「黒」ではなく「濃いグレー」になってしまうのです。

ちなみに、「K(ブラック)」インキの「K」は「Black」のことではなく、「Key Plate(キー・プレート)」という用語の頭文字から取られた名前です。ややこしいですが^^;


そうしてスキャナで撮影した自分の「作品」が、新聞の折り込み広告や自動車などのカタログ・パンフレットといった「商品」として世の中に流通しているのを実際に目にしたときは感激しました。

現在では、スキャナとレタッチを含めたこれらの工程のほぼすべてが、「パソコン」を用いてデジタル的に作業が行えるようになっています。

25年前当時、あんなにいたレタッチマンの人たちは、今はどうしているのだろうと少し気になります。

そのように、とてもやりがいのある仕事だったのですが、私の人生観を変える転機となった出来事がきっかけで退職してしまいました。

1995年(平成7年)1月17日に起こった、「阪神・淡路大震災」でした。



…その日の明朝。

寝ている私の耳に、突然、「どーん」という、なにか巨大なものが地上に落下して激突したような、ものすごい音と衝撃が響きました。

それから数秒後、「ごごごごごご・・・」という恐ろしい地鳴りとともに、地面と家が激しく縦揺れするのを感じました。

地元近くの明石海峡付近を震源地とする、「マグニチュード7.3」の巨大地震でした。

私の実家のあった加古川市の震度は5~6で猛烈に揺れたものの、築20年が過ぎていた自宅の被害は皆無に近い状態でした。

そのために、「たいしたことはないだろう」と、いつものようにバイクで神戸市の長田区にある勤務先に向かったのです。


しかし、会社のある神戸市に近づくにつれて、それがまったく愚かで浅はかな考えだったことを知りました。

国道2号線は分断され、路面は破壊されてあちこちで瓦礫が散乱し、地上に漏れ出たガスの臭いが辺りに漂っていました。

そうして途中で何度も道を迂回しながら神戸市内の会社にたどり着いたのは、自宅を出発してから5時間が経過した正午前のことでした。


会社の周りの光景は、まさに「地獄絵図」でした。

コンクリートのビルが倒壊し、高速道路が巨大な橋桁から落下し、木製の古い家屋の多くが倒壊全焼して、市街のいたるところで黒煙と火の手が上がっているのが見えました。

隣の古いビルは全壊していましたが、5年前に新築されたばかりの会社のビルは倒壊を免れていました。

「今日は会社は休みか」

なんとも間抜けで愚かで不謹慎なことながら、そんな現実の惨状を目の当たりにしても、被災地にいた私は目の前の現実もまるで他人事のように感じ、そのままバイクで来た道を戻って家まで帰りました。

「あのとき、おまえが辺りを捜索していたら、だれかひとりでも助けられたかもしれないのに」

当時の友人に言われた言葉が、今でも自分の心の深くに引っかかっています。


それから1ヶ月ほどが過ぎ、倒壊を免れた私の会社は通常通りの営業を再開していました。

あとになって、全壊した隣のビルにいた人が、瓦礫の下敷きになって亡くなったことを聞かされました。

倒壊した隣のビルはまだそのままになっていて、瓦礫の下に掘り出すことができずに埋まったままの遺体が眠っていることを知らず、私は日常的に働いていたのでした。


――人が隣で死んでいるのに。自分はなにをしているのだろう。


そんな状況下で、独りで夜勤をしていたことを後日知った私は、会社を辞める決意をしました。

それからの私は、正社員として働くことをやめ、アルバイトをしながら専門学校に通ったり、乗馬やツーリングなど自分のやりたいことを思う存分にやって、自由気ままに暮らしてきました。


そうして、20数年の月日が流れました。

両親も亡くなり、気がつくと、独身のまま家庭も持たずに40歳を過ぎていました。


Img_1453_2


「馬乗りになる」という最後の夢も潰えた現在は、地元の郵便局で契約社員として働いています。

「神戸」は、私の両親が出会い、私が生まれた「故郷の町」です。

その神戸の街は、今では完全に復興を成し遂げて、写真のように、平和で活気のある大都市に戻っています。



そして、これからも。

« 『男の修行』 | トップページ | ブログをはじめてから3ヶ月になりました♪ »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/2511786/71666778

この記事へのトラックバック一覧です: 新社会人として働いた神戸の製版会社と、「阪神・淡路大震災」の体験。:

« 『男の修行』 | トップページ | ブログをはじめてから3ヶ月になりました♪ »