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カテゴリー「ウィルカの日常」の記事

2017年8月16日 (水)

「黄色いユキヤナギ」 ~母と父と

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写真は、今から13年前の2004年7月に、母の実家のある三重県熊野市に家族で帰省したときに撮影したものです。

中央の水着の男の子は、私の甥にあたる妹の子供で、その後ろに背中だけ写っている青いズボンを履いた男性が、私の父です。

父の右側にいる赤い麦藁帽子を被った女性は、私の母の妹にあたる叔母で、その反対側に座っている黒い帽子の女性が義妹、画面左端に写っている男性が私の弟です。

下の写真で浮き輪を持っている女の子が、義妹と弟の子供です。

(これらの写真では個人の顔はわからないので、モザイクなどの画像処理はせずに掲載しています)

この川は、「大又川」という小さな川で、母の実家の近くを流れています。

上流にダムが建設されたため、母たちが子供だったころよりも水の量が半分以上も減って、水質も昔より落ちたそうですが、それでも都会の川とは比較にならないほどきれいで、今でも泳いだり、鮎釣りもできる清流です。


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生前、母は詳しく語ってはくれませんでしたが、叔母から聞いた話によると、母は子供ころに、この大又川で「河童」を見たことがあるそうです(笑)

写真の場所から少し離れたところにある、杉の木が密集した岩場の大きな石に、一匹の「河童」が座っているのを見たそうですが、母以外には誰もその姿を見た人はいませんでした。

母が、写真の姪よりも少し大きくなった中学生のころ。

叔母たちといっしょにこの川で遊んでいたところ、泳ぎの達者だった母が突然、悲鳴をあげて溺れはじめたそうです。

それを見た叔母たちはパニックになり、たまたま運よく近くの道路を歩いていた男性に助けを求めました。

驚いた男性がすぐさま川に飛び込んで、溺れている母を救い出してくれたおかげで助かったのですが、河原に救い出された母は、

「河童に足を引き摺られた」

と、泣きながら震えていたという話でした。



母も私も、霊を感じる「霊感」はありませんが、物の怪を感じる「怪感」(?)はあるようで、母の息子である私も、「妖怪のようなもの」に遭遇したことが過去にあります。

そのお話はまたつぎの機会にさせていただくことにして…。

写真に写っている、この小さな姪には、どうやら「霊感」があったようです。

姪は、「家におばあちゃんがいる」と、自分の母親にだけ話していました。

姪たちが住んでいた集合住宅に、たまたま同じように霊感を持った女性が住んでいて、亡くなった母が弟たちの背中越しに厳しい表情を浮かべて、

『お父さんのお酒を辞めさせなければ大変なことになる』

と、弟たちを見かけるごとに、自分の姿が見えるその女性に訴えかけていたそうです。

実際に、父は、最愛の妻である私の母を失った悲しみから、以前にも増して酒に溺れるようになり、とうとうアルコール依存症になってしまいました。

家族が制止しても、病院で薬を処方してもらっても依存は治まらず、アルコールで身も心も衰弱してしまった父は、母が亡くなった10年後に、あとを追うようにして亡くなってしまいました。



父が亡くなった当日。

前日に危篤の知らせを受けた私は、当時働いていた北海道から急いで飛行機に乗ったのですが、運の悪いことに大雪で飛行機の出発が遅れてしまい、一時間の差で、父の死に目に合うことができませんでした。

私が病室に駆けつけたとき、父の顔の上には、白い布が被せられていました。

その布をめくると、ひどく痩せこけた父の顔がありました。

どちら側だったかは覚えていませんが、父の目から涙が流れた跡があり、半開きになった口が微笑んでいるようにも見えました。



…父が亡くなる少し前、私は「夢」を見ました。

満開の桜の花が舞う下に、父と母がいました。

私は、その夢の中では、どういうわけか「女性」で、母が若いころに着ていた「黄色いワンピース」を着ていました。

私は愛用のデジタルカメラを持ち、幸せそうに寄り添っている二人を、カメラの中に収めました。

桜の下に、黄色い小さな花を付けた柳のような草木が茂っているのが見えました。

「ユキヤナギって、黄色やったんやなあ」

私が言うと、母が答えるように微笑み、夢から覚めました。

病室で看病していた叔母も、父が亡くなる少し前に、「夢」を見たと教えてくれました。

どこかの松林に、私の父と母がいて、父がおどけながら松の木の枝を剪定している様子を、傍にいる母が穏やかな顔で見守っていたそうです。



――やっと、お母さんに会えたんやな。

父の頬に残っていた「涙」を見たとき、私は確信しました。



私の妹と弟のそれぞれの家庭の事情により、父が亡くなったときから甥たちにはずっと会っていませんが、小学生だった甥は成人し、幼かった姪も、現在では高校生になっているでしょう。

お盆も終わりだというのに、両親の墓参りすら行っていない親不孝者の私ですが、離れ離れになってしまっても、私たち「家族」を今も二人で見守ってくれていたらと望みつつ、亡き両親への祈りとさせていただきます。


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「母と父」(1970年)

若かりしころの、父と母の写真です。

おそらく、撮影したのは私の叔母で、写真裏面に「70」と印刷されていることから、今から47年前の1970年に、母の実家で撮影されたものだと思われます。

当時、母が26歳、父が25歳で、母は父より一つ年上の「姉さん女房」でした。

中学校を卒業して15歳のときに、沖縄近くの島から集団就職で神戸の運輸会社に就職した父は、馴染みの喫茶店でウェイトレスとして働いていた母と知り合い、熱愛の末に結婚したそうです(叔母談)

そのときに撮影したものなのか、喫茶店で働いている母を「隠し撮り」したっぽい写真も、古いアルバムの中に紛れて残っていました(笑)

父は、このときから大型トラックやトレーラーを運転して働き続けてきた「トラック野郎」でしたが、年上の母にはいつも頭が上がりませんでした。

それにしても、派手な「紫の腹巻」が目に付きます。…流行ってたのかこれ?(笑)

空の上でも、二人仲良くお幸せにねheart04

2017年8月15日 (火)

亡き母からの電話

今から18年前。

まだ父が生きていて、実家でいっしょに暮らしていたときのお話です。



弟と妹はすでに家を出て、それぞれが別の場所に世帯を構えて生活をしていたころ。

20代も後半が過ぎていた長男の私は、結婚もせず、定職にも就かずに、当時はまだ現役で働いていた父に半分養ってもらうような状態で、気ままなアルバイト生活を送っていました。

その年の春に母が亡くなり、五人の家族が賑やかに暮らしていた古い家に残っていたのは、私と父の二人だけになっていました。



母が亡くなってしばらくが過ぎた日。

父が、お揃いの「携帯電話」を二つ買ってきました。

「なにかあったときの連絡用に」と、一つは自分用に、残りの一つを息子の私に手渡しました。

20世紀も終末に近づいていたそのころは、ようやく、「携帯電話」が世の中に浸透しはじめたときで、それまで一部の限られた人たちの間でしか使われることのなかったハイテク機器が、ビジネスマンをはじめ、主婦や学生まで、誰もが気軽に持てる時代へ移り変わろうとしていました。

もちろん、「スマートフォン」などはまだ登場しておらず、父が買ってきたその携帯電話も、小さなモノクロの液晶画面に数字と簡単な文字が表示されるだけの、デジタル電話機の子機を小さくしたような携帯電話機でした。

「電話嫌い」…というより、「人と話すのが嫌い」だった(…今でも独りでいるほうが好きなことには変わりないですが(苦笑))当時の私は、電話機に付属していた分厚いマニュアルを暇つぶしに読むだけで、せっかく父が買ってきてくれた携帯電話も、外に持ち歩くことはもちろん、父から連絡があっても電話に出ることさえありませんでした。



亡くなった母の「四十九日」が過ぎた、ある夜。

アルバイトが終わって、深夜遅くに帰ってきた私は、自分の部屋の充電器に立てたままにしていた携帯電話のランプが、赤色に点滅しているのに気づきました。


『1件の音声録音があります』


カセットテープのアイコンが、ファミコンのドット画のような荒い文字といっしょに、小さな液晶画面に表示されていました。

その音声が録音された日付は、「母の四十九日」の翌日。

妙な「予感」を感じた私は、それまでずっと見向きもしなかった携帯電話を耳に当てて、留守番電話の再生ボタンを押しました。



ピー。

5月○日。午前2時○○分。


ううううう。

ウィルカ…。ウィルカか?

…げんきか?…そうか、元気か…。

ううううう。

つらいよ、つらいよ。

うううううう~。


メッセージハ、イジョウデス。



その声は紛れもなく、亡くなったはずの「母」でした。


…なんで?


どうして、死んだ母から「電話」が??

電話のむこう側にいたはずの母は、私の名前を呼んで、苦しそうに何度も嗚咽を漏らしていました。

ふと見ると、音声録音といっしょに、見慣れない「電話番号」が表示されていました。

私は反射的に、その電話番号のリダイアルボタンを押しました。



プルルルルルルル

プルルルルルルル

プルルルルルルル

プルルルルルルル


ガチャ。


「あ、もし、もし? おかあ…」

「もしもし。ああ、ウィルカか?」

「え? …おばちゃん!?」



電話に出たのは、まだ生きている私の「叔母」でした。

「なんや~、おばちゃんやったんか!」

「電話の声の正体」がわかった私は、すっかり拍子抜けして、録音されていた声とは別人のように明るく話す叔母に言いました。

「お母さんから電話が掛かってきたかと思ったわ。おばちゃんの声、お母さんにそっくりやから」

「そうけえ?」電話の向こう側から、母も使っていた三重の方言混じりのうれしそうな声が聴こえてきました。

「いやな、姉さん(私の母)の四十九日の日になあ、店が終わってから独りでお酒のんで、べろんべろんに酔っ払ってもうてなあ…。姉さんのこと思い出して、どえらい悲しなって。それであの日、泣きながらあんたの電話に電話かけやったんやわ」



叔母は、私の母の妹にあたる女性で、母が生まれた三重県の実家近くで、小さなスナックを営みながら暮らしていました。

お客さんとアルバイトの女の子が帰ったあと、夜、亡くなった私の母のことを思い出しながら、独りでお酒を飲んでいたのでした。

「あんたが、母さんのこと一番わかってくれてたから」

内気でおとなしい母とは対照的に、叔母は活発で勝気な性格でした。

七つ違いの姉妹でしたが、子供のころから友達のように大変仲がよかったらしく、二人が結婚してからも、お互いの家をはるばる訪ね会うような間柄でした。

叔母は、「若いころの母そっくりだ」という長男の私のことを、昔から一番かわいがってくれていました。

そんな叔母の電話番号さえ、よく覚えていなかったなんて…。

私はそれから、自分の携帯電話に叔母の名前を登録しました。

その日以来、私は自分の携帯電話をちゃんと「携帯」して、父からの電話にも出るようになりました。



今でも相変わらず電話は嫌いで、仕事以外に自分から電話をかけることはしませんが、かかってきた電話にはきちんと出るようにしています(笑)

もし母がまだ生きていたら。

きっと、毎日叔母とおしゃべりをしていたでしょうね^^


Fullsizerender
「母と叔母」(1970年)

若かりしころの、母と叔母の写真です。

向かって左が私の母、右が叔母です。

写真裏面に「70」と印刷されていたので、今から47年前、母が26歳、叔母が19歳のころの二人だと思われます。

三重県熊野市にある母の実家の庭先でのスナップ写真で、この写真を撮影したのは、当時母と婚約していた私の父だそうです。(叔母談)

この一年後に、私が生まれました^^

言われてみれば、私はこのころの母にそっくりだと思います。

どこに行くにも二人いっしょで、叔母にとって、いつもおしゃれで優しい母は、「自慢の姉」だったそうです。

背丈も同じくらいで、小柄な身体にワンピースを身につけて寄り添う「姉妹」が可愛いですねhappy01

この写真の二人が、私の中での「ウィルカとキリャ」のモデルになっていたり…するのかもかもね?(*^-^)

2017年8月14日 (月)

デスクトップPC「電源ユニット」交換

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私の愛用のパソコン(2012年製 ドスパラオリジナルPC 「Prime Galleria FZ」)で動画の編集をしていたら、突然、電源が落ちてしまいました。

「停電かな?」と思いましたが、同じ部屋の照明や他の家電の電源は落ちていなかったので、PCになんらかのトラブルが発生した様子。

電源ケーブルを抜き差して、電源スイッチを押してみても、まったく反応がありません。

――これは、「電源」が逝っちゃったかも。

嫌な予感がしました。

以前も、同じPCで突然、画面が真っ黒になって、なにも表示されなくなったことがあったのですが、そのときは「ビデオカード」の故障が原因で、新しいビデオカードと交換したところ、また元通りに画面が表示されるようになりました。

今回は、画面が表示されないどころか、PCの電源そのものがオンにならないので、「電源ユニット」になんらかの不具合が発生したことは、ほぼ間違いありませんでした。

幸いなことに、自宅のすぐ近くに「パソコン工房」があるので、ビデオカードが壊れたときと同様に、すぐさまその足で店に向かいました。

古い電源ユニットを、購入した新しい電源ユニットに交換すると、案の定、再びPCの電源が入るようになりましたgood

無事に起動するようになったのはいいのだけれど、なんの前触れもなく、いきなり壊れるのは、お財布にも心臓にも精神的にも「苦痛」です^^;



私のPCは、5年前のモデルとはいえ、当時のハイレベルの「3Dオンラインゲーム」がプレイできるように製作された「ゲーミングPC」だったので、『ドラゴンクエストⅩ』はもちろん、現在のゲームでも、なんの問題もストレスもなくプレイすることができます。

比較的ロースペックな環境でも動作する『ドラゴンクエストⅩ』では、むしろオーバースペックとも言えるくらいです。

ただ、今回のように何かトラブルが発生してパーツが交換という事態になると、高性能なパーツを使用している分、そのパーツにかかる費用も高額になり、別の意味でも私には「オーバースペック」とも言えます(苦笑)


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こちらが今回購入した、新しい「電源ユニット」です。

COOLER MASTER RS750-AMAAG1-JP 750W (台湾製)

¥12,938


「電源ユニット」は、その名の通り、PCに電力を供給するための「電源」です。

PCの本体である基盤の「マザーボード」をはじめ、そのマザーボードに接続されている「ビデオカード」や「ハードディスク」などのパーツに電力を供給する働きを担っています。

電源ユニットには、各パーツと接続するための電源コードが複数取り付けられていて、その電源コードのコネクタをそれぞれのパーツに差し込めば、電源ユニットの本体から電流が送られるようになっています。


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写真は、私が使用しているデスクトップPCの内部です。

左下角にある黒い箱が、「電源ユニット」です。

大変わかりづらいのですが、電源ユニットの上部に、有線接続用の「LANカード」と、サウンドプログラムが収められている「サウンドカード」があります。

左側中央部に位置している黒色の長細いパーツが、グラフィックを表示させるための「ビデオカード」で、さらにその上に見えている、扇風機のような冷却ファンと、銅色の管のようなものの下に、PCの頭脳ともいえる「CPU」が収められています。

右上角のエリアには、「DVD-R」などの外部メディア読み込み機器があり、右下角のエリアには、システムとデータを読み書きするための「ハードディスク」などを収納するスロットがあります。

「電源ユニット」を含め、これらのパーツはすべて、「マザーボード」という大きな基盤に接続されています。

配線をきちんと結束していないので、ごちゃごちゃしているように見えますが(汗)、デスクトップPCの内部はシンプルで、基本的な知識と数本の精密ドライバーがあれば、中学生でも自分でパソコンを組み立てることが可能です。

貴重な休日とお金を少し使ってしまったけれど、これでまた、ブログの更新や『ドラゴンクエストX』も遊べるので一安心ですhappy01



…と書いた昨日の記事が、これまた突然の「通信トラブル」で消えてしまいました(涙)

まあそのトラブルも、ブログの「ネタ」にできたので、いいですけど(笑)

本日のブログの記事が消えてしまいました

2時間かけて書いた記事をアップロードしようと思ったら、通信エラーで全部消えてしまいました(涙)

日付も変わってしまったし(泣)

せっかく毎日欠かさず続けてきたブログに1日穴が空いてしまいましたが、明日も仕事だし、今日はこれで寝ますsad

2017年8月12日 (土)

お盆休みですね

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世間は、お盆休みですね。

郵便の配達をしていると、企業などはほとんどがお休みで、バイクで道路を走っていても、普段よりずいぶん道が空いているのが実感できます。

多いところでは、1週間から10日間ほども連休があるようで、お盆休みも正月休みもない私には、うらやましい限りです。

写真は、とある漁村にある、昔懐かしい丸ポストで、今でも現役でがんばっています。

いっしょに写っているバイクは、私が配達で乗っている最新式の郵政カブ「MD110」です。

MDとは、「メールデリバリー」の略で、ホンダのスーパーカブをベースに、郵便配達仕様に改造が施されています。 カブでも110ccなので、意外に速く走るのですよ💨

それでは、今日はこれで。

午後からも配達がんばります(^^)v

2017年8月 9日 (水)

「ドルアーガの塔」で出会ったみなさんへ

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PCのディレクトリの中身をほじくっていたら、昨年撮影したらしい「ゲーム動画」が出てきました。

以前にも、何度かブログでご紹介したことのある、私が最初に遊んだオンラインゲーム、『ドルアーガの塔』の動画です。

「ドラゴンクエストⅩ」のブログなのに、今は存在しないオンラインゲームの記事を書くのも少々憚(はばか)りますが、ドルアーガの塔の動画を自分のブログに公開するのもこれを最後として、二つだけアップロードさせていただきました。

ゲームにログインする前の「キャラクター選択画面」と、ドルアーガの塔の世界での最大の都市「バビリム」および、隣接する闘技場への入り口となっていた「クァナンの船着場」の動画です。



「クァナンの船着場」からは、「オフランディヴィーヌ闘戯会」が行われていた「ザリーク・クァナン闘技場」へ入場することができました。

この闘戯会は、『ドラゴンクエストⅩ』の世界での「コロシアム」に相当するもので、NPCのモンスター相手ではなく、「生身の人間」が操作しているプレイヤーキャラクターを相手に戦闘を行う「対人戦」でした。

『ドラゴンクエストⅩ』のコロシアムと違う点は、「4人対4人」の少人数ではなく、1チーム30名×3チームによる、総数90名が入り乱れて戦う「大規模対人戦」であることでした。

毎週、日曜日と平日の2日間開催されていて、私は、ソーサラー(魔法使い)の「ウィルカ」で、リアル友人やフレンド゙さんたちといっしょに、この闘戯会に参加することが、なによりの「楽しみ」でした。

「対人戦」というと、「プレイヤー同士が殺しあう血生臭い戦闘」というイメージがありますが(…まあ、実際、「殺し合う」のですけどね(^^;))、「戦闘」というよりも「競技」に近く、私を含めた参加者たちも「運動会の競技」に出場するような感覚で、倒しても倒されても相手を恨んだり罵ったりすることもなく、お互いに対人戦を楽しんでいました。

…はじめのうちはね。



タイトルの写真は、闘技場前の「クァナンの船着場」で撮影したもので、右の白い服を着た人物がウィルカで、左側の赤い服を着た人物が、私のリアル友人です。

友人や同じチームのみなさんのおかげもあって、闘技会では何度か入賞もして、個人優勝もすることができました。

下の写真は、念願だった個人優勝を果たしたときに運営から戴いた褒章のマントです^^


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おそらく、「前世のウィルカ」は、トータルで3000人以上の人数を「KILL」したと思うのですが^^;、『ドラゴンクエストⅩ』の世界に生まれ変わった「魔女のウィルカ」では、一部の例外を除いて、対人戦である「コロシアム」にはいっさい参加していません。

もうだれも、殺したくはないの…。



そして、たぶん。

かつて同じ世界で遊んでいた方々も、「アストルティア」の世界に転生した人たちが、少なからずいらっしゃると思います。

もし、「ウィルカ」を見かけたら。

よければまた、この世界でもいっしょに遊んでくださいね^^




THE TOWER OF DRUAGA ~the Phantom of GILGAMESH~ 「キャラクター選択画面」


THE TOWER OF DRUAGA ~the Phantom of GILGAMESH~ 「バビリム」~「クァナンの船着場」

2017年8月 8日 (火)

「頭痛にバファリン♪」…と、アスピリンのお話。

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私は、子供のころから、「頭痛持ち」です。

実家に置いてあった薬箱の中の頭痛薬を消費していたのは、その大半が私でした。

「頭痛持ちで、おまえは女の子みたいやなあ」

と、母に言われていたのを覚えています。

男性である私には、頭痛と女性の関連性はよくわかりませんが、とにかく「頭痛」とは、昔からの長い付き合いでした。

私の頭痛は「慢性頭痛」ですが、心臓が脈打つごとに「ズキズキ」とした痛みが響くような強烈な頭痛ではなく、額から頭頂部にかけて、「じんわり」とした柔らかい痛みが長時間続くような穏やかな頭痛です。

それに加えて、頭痛が起きる頻度もそれほど多くはなく、せいぜい、週に1~2回程度のものなので、頭痛持ちだとはいっても、同じ症状を抱えている他の人たちに比べたら、まだまだ軽いほうだと思います。

市販されている頭痛薬にはいくつかの銘柄がありますが、私に効く頭痛薬は唯一「バファリン」のみで、その他の薬は、なぜかほとんど効きません。

以前、ためしに他人からいただいた他の薬を飲んでみたところ、なんとなく痛みが和らぐような気がするだけで、頭痛を消し去ることはできませんでした。

そのようなわけなので、いつもお守りに「バファリン」を持ち歩いているのですが、今日はうっかりそのお守りを切らしてしまっていて、じんわりとした頭痛に悩まされながら、炎天下の下、仕事を続けるはめになってしまいました。



では、どうして私には「バファリン」しか効かないのか?

気になったので、市販されている有名どころの頭痛薬の成分を、いくつか抜粋して調べてみました。



1.「バファリンA錠」 ライオン株式会社

(有効成分) アセチルサリチル酸 330mg   合成ヒドロタルサイト(ダイバッファーHT) 100mg

添加物として、トウモロコシデンプン、ステアリン酸Mg、ヒドロキシプロピルメチルセルロース、酸化チタン、マクロゴール、青色1号を含有。


2.「ケロリン」 内外薬品株式会社

(有効成分) アセチルサリチル酸 600mg  無水カフェイン 60mg  ケイヒ末 60mg

添加物として、バレイショデンプンを含有。


3.「イブA錠」 エスエス製薬株式会社

(有効成分) イブプロフェン 150mg アリルイソプロピルアセチル尿素 60mg  無水カフェイン 80mg

添加物として、クロスカルメロースNa、無水ケイ酸、セルロース、ヒドロキシプロピルセルロース、ヒプロメロース、マクロゴール、ステアリン酸Mg、タルク、酸化チタンを含有。


4.「ノーシン錠」 アラクス

(有効成分) アセトアミノフェン 300mg  エテンザミド 160mg  カフェイン水和物 70mg 

添加物として、ヒドロキシプロピルセルロース、ケイ酸Ca、アルファー化デンプン、ステアリン酸Mgを含有。


5.「ナロンエース」 大正製薬株式会社

(有効成分) イブプロフェン 144mg エテンザミド 84mg ブロモバレリル尿素 200mg  無水カフェイン 50mg         

添加物として、無水ケイ酸、ヒドロキシプロピルセルロース、セルロース、ヒプロメロース、タルク、ステアリン酸Mg、黄色5号を含有。


6.「セデス・ハイ」 塩野義製薬株式会社

(有効成分) イソプロピルアンチピリン(IPA) 75mg  アセトアミノフェン 125mg  アリルイソプロピルアセチル尿素 30mg  無水カフェイン 25mg

添加物として、カルメロースカルシウム、クロスカルメロースナトリウム、ポビドン、ステアリン酸マグネシウム、結晶セルロース、トウモロコシデンプン、乳糖水和物、ヒドロキシプロピルセルロースを含有。



まだほかにも販売されていますが、とりあえずのサンプルはこれくらいにして、上の6つの頭痛薬に含まれている「有効成分」に注目してみると、「バファリン」と「ケロリン」には含まれていて、他の4つの頭痛薬には含まれていない成分「アセチルサリチル酸」というものがあることに気がつきました。

「アセチルサリチル酸」とは何ぞや?

調べてみると、


アセチルサリチル酸は、代表的な消炎鎮痛剤のひとつで非ステロイド性抗炎症薬の代名詞とも言うべき医薬品。ドイツのバイエル社が名付けた商標名のアスピリンがよく知られ、日本薬局方ではアスピリンが正式名称になっている。 消炎・解熱・鎮痛作用や抗血小板作用を持つ。

(以上、「ウィキペディア」より引用)


…なのだそうです。

「アセチルサリチル酸」は初めて聞いた言葉ですが、「アスピリン」は何度か聞いたことのある名前です。

おそらく、この「アスピリン」が、私の頭痛には効いているのだと思われます。

アスピリンは、頭痛や歯痛などの痛みを和らげる以外にも、血液をサラサラにする効能があり、「脳卒中」や「心筋梗塞」などのほか、「大腸がん」にも効き目があることがわかったそうだとか。

ただ、強い薬の例に漏れず、このアスピリンにも「副作用」がやはりあるようで、血液をサラサラにする反面、歯茎などから「出血」を伴ったり、その成分により胃が荒れたりなど「胃腸障害」も起こるようです。

幸いなことに、今のところ私には、これらの副作用は起きていません。

バファリンを飲めば、30分程度で頭痛も治まってしまうのですが、それでも痛みが治まらないときは、「風邪」など、他の病気にかかっていることがほとんどです。



ちゃららら、ちゃっちゃっちゃ~ん♪

ウィルカは、レベルがあがった!

ウィルカは、「アセチルサリチル酸」の呪文をおぼえた!



…というわけで(笑)

私に「バファリン」だけが効くのは、「アスピリン」のおかげだったのですね^^

「ケロリン」は今まで服用したことはありませんが、同じアスピリンが有効成分として含有されている頭痛薬なら、きっと「バファリン」と同じように効き目があるに違いないでしょう。



最後になりますが、この記事はあくまでも私個人の体感と主観によるもので、「バファリン」と「アスピリン」を賛辞し、他の薬と成分を貶めるものではありません。

薬の効き目には、体質や個人差もありますので、定められた用法を守り、正しく服用されることをお願いいたします。

2017年8月 3日 (木)

無名のおっさんの私がブログを書く理由

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あと1週間ほどで、ブログをはじめてから「2ヶ月」が経とうとしています。

6月11日のブログ開設から、毎日欠かさず記事の更新を行ってきたのですが、今になって感じているのは、ブログを書くのは思っていたよりもずっと「重労働」だということです。

仕事中も、「今日はどんな記事を書こうか?」とネタを探し、帰宅したらそのネタを記事にするために、1時間から3時間くらいかけて、頭の中の映像を文章として具象化する作業をします。

私は文章を書くのは好きなのですが、はっきりいって、ブログを書くのは「楽しい」というよりも、むしろ「苦しい」です。



今のブログには標準で「アクセス解析」が付属していて、いつ、どのくらいの人たちが、どんな媒体を使って自分のブログを閲覧してくれているのかが数値としてわかるようになっています。

それによると、私のブログを見てくれているのは総数で10人くらいで、そのうち、1日に訪れてくれる人(専門用語で「UU」=「ユニークユーザー」といいます)はその半分くらいの人数、1日に各ページを見てくれる回数(専門用語で「PV」=「ページビュー」といいます)は、多いときで70PVくらい、少ないときでは10PVを切るので、平均で20~30PVといったところです。

これが、著名なブロガー(ブログを書いている人をこう呼ぶそうですよ)や芸能人などだと、1ヶ月のPVが50万PV~100万PVほどにもなるそうです。

なんだか、「一般人」と「フリーザ」くらいの「戦闘力の差」がありますね(笑)

PV…ページビューの数値がブログのすべてを表すとは限りませんが、100万ものPVが集まるブログは、それだけの「人気」や「価値」があることを視覚的に示す、ひとつの指標となり得るものだと思います。



そして、私のブログは、「スクウェア・エニックスのオンラインゲーム『ドラゴンクエストⅩ』のプレイ記事ほか、個人日記的ブログ」と、一応は、「ドラゴンクエストⅩのブログ」というジャンルに無理やり嵌めていますが、その実態は、40も半ばも過ぎた「おっさんの個人日記」となっています(笑)

なにか役に立つような情報が掲載されているのかと思えば、そのようなものはほとんどと言っていいほどなく、私自身が過去に体験したことや、なんでもない日常のことなどを「日記」として書き綴っているだけです。

そのような「ただの日記」でも、「芸能人や著名な人たちの日記」ならば、ファンの方々はもちろん、一般の人たちも興味を持って、たくさんのユーザーがブログに訪れてくれるでしょう。

そのような有名人のブログのページに「アフィリエイト広告」が貼り付けられていたら、それだけで「月収100万円」以上~(ひょっとしたらもっと?)もの収入が得られ、「ビジネス」としても十分すぎるくらいに成り立ちます。

いっぽう、「広告」でお金を儲けているわけでもなく(…もっとも、そんな広告を今の私のブログに貼り付けたところで、数十円の稼ぎにもなりませんが(苦笑))、有益な情報を載せているわけでもなく、有名でもなんでもない「ただのひとりの人間」である私が、「ブログを書く理由」は、いったいなんなのでしょう?



私がブログを書く理由。

それは、


・「書きたい」から。

・自分が書いた文章を、「ほかの人に読んでほしい」から。(…願わくば、いつかは「広告」でちょっとのおこづかいも稼げたらいいな…とか)


この、「ふたつの理由」からです。



なにか「感動」するものと出会ったり、見たり聞いたりしたとき、人は、その感動を「ほかの人にも伝えたい」と感じます。

それは、すべての人間が持っている「感情」…、いえ、「本能」です。

その本能を満たしたいと思うとき、ある人は「絵」を描き、ある人は「写真」を撮り、ある人は「音楽」を奏で、ある人は「歌」を唄い、ある人は「詩」を詠み、ある人は「言葉」で話し、その「感動」をほかの人になんとか伝えようとするでしょう。

私の場合、それが「文章」なのです。

だから私は、無意味だと言われても、お金にならないと言われても、私の文章を読んでくださる人がいる限りは、文章を書きたいのです。

とはいえ、「感動」もないのに、ブログを毎日書くためだけにネタを探して無理やり記事を書くことは、私にとっては「苦痛」です。

けれど、それでも続けてゆきたいと思います。

そうすることで、この「ぐうたらな自分」に少しでも喝を入れることができるのなら。

今は少し辛いけれど、それがいつか習慣になって、当たり前のことになれば、「苦痛」も「楽しみ」に変わるかもしれません。

たまに疲れて、ほんとに「どうでもいい日記」などを書く日もあるかもしれませんが(笑)



そのようなわけですので、またこれからも読んでいただければ幸いです^^



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2017年8月 2日 (水)

フォトアルバム「春」公開しました

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三冊目のフォトアルバム、「春」を公開しました。

IXY DIGITAL500で撮影した残りの写真を、撮影場所は関係なく、「春」・「夏」・「秋」・「冬」の季節ごとのテーマに分けて公開させていただくことにしました。

…といっても、最初の「春」のアルバムには、「9枚」の写真しかありません(汗)



No.01~06までの写真は、地元近くにある「姫路城」で撮影したものです。

白塗りの漆喰で施された白亜の外観から、別名「白鷺城(はくろじょう、しらさぎじょう)」とも呼ばれ、奈良の「法隆寺」とともに、日本で初めて「世界遺産」に登録された歴史的建造物です。

古くは、播磨の国の守護赤松氏が築城し、その後、小寺氏、小寺氏から豊臣・織田・徳川家に仕えた黒田孝高(官兵衛)や、天下統一を果たす前の羽柴秀吉なども城主に就任しましたが、現在の姿になったのは、江戸時代に姫路藩主となった池田氏の代からでした。

老朽化により、2009年(平成21年)から2015年(平成27年)まで城の大修理が行われ、工事が行われていた6年間のうち、2010年春以降からは、城のシンボルである「大天守」に登ることも、外側から天守を見ることもできなくなっていました。

その工事が行われる年の春に、「見納め」として撮影したものがこれらの写真です。

一部、姫路城とは特に関連性もない生き物たちの写真も混じっていますけどねfish

現在では工事も終わって、すっかりきれいにお化粧直しされた姫路城の大天守が、よりいっそう白さと煌びやかさを増して、純白に輝いている優美な姿が見られます。



No.07と08の写真は、昔所有していた「YAMAHA XJR400R」というバイクで、東北・関東方面へソロでツーリングに行った帰り道に、静岡で撮影したものです。

それまで私は、スピードの速い「レーサーレプリカ」というタイプのバイクにずっと乗っていたのですが、バイク便のアルバイトをしているときに配達に立ち寄った店で、白馬のような純白のこのバイクに一目惚れをして、車を買うために貯めておいたお金を全額下ろして購入したのでした。

中二病の私は、このバイクに「スレイプニル(…北欧神話の主神「オーディン」の駆る灰毛の馬の名)」という名前をつけて(笑)、東北・関東のほか、九州や沖縄にも行ったり、西国三十三箇所のお札参りもしたりして、3万キロ以上の道をともに走りました。

静岡の「宇津谷」というところに、写真に写っているような光景の、旧東海道の宿場町の面影を残した集落があり、その付近の峠に、「宇津谷隧道」という古いトンネルがありました。

トンネルが作られた順に、「明治」、「大正」、「昭和」、「平成」と4つのトンネルが同じ場所に掘られているのですが、中でも一番古くて雰囲気のある「明治宇津谷隧道」を写したものが、下の写真です。



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写真に写っているたくさんの「白い玉」のようなものは、カメラのレンズに付着した水滴が、フラッシュが発光したときに反射して映り込んでいるもので、けっして「オーブ」などという霊的なものではありません(笑)

しとしとと冷たい雨の降る日に独りでトンネルの中を撮影していたら、トンネルの向こう側からこちら側に出てきた通りがかりの自動車のドライバーたちに、ぎょっとした目で見られました。

あとで調べてみたら、案の定、「心霊スポット」にも認定(?)されているみたいで、傘もささずに人気のないトンネルの出口立っていた私のことを、「幽霊」かなにかと勘違いしたのかもしれません(笑)

私は「心霊スポット」を訪れたのではなく、「史跡」として残されているこのトンネルを訪れただけです。

鈍感な私には「なにも」感じられませんでしたが、このトンネルに伝えられているいわくの真偽などはともかくとして、なんでもかんでも「心霊スポット」と呼んで騒ぐのもどうかと私は思いますけどね…。

このトンネルを下った先に、6番目の写真の集落があります。



最後の9番目の写真は、三重県熊野市の山村にある、母の実家で撮影したものです。

母が生まれ育った家の庭には「茶」が植えられていて、ゴールデンウィークにバイクで帰省したときに、叔母たちといっしょに摘んだ茶葉です。

このあたりの家で飲まれているお茶は、緑茶ではなく「ほうじ茶」で、乾燥させた茶葉を燻って淹れると、緑茶と紅茶の中間のような、とても香ばしい芳香のするおいしいお茶になります。



…というわけで、フォトアルバム「春」 です♪

2017年8月 1日 (火)

気分が乗らない日は適当な文章でもとりあえずは書く

今日から8月ですね。

この間、年賀状の配達をしたばかりだと思っていたら、今年も半年以上が過ぎて、気がつけばもう8月です。

6月からはじめたこのブログも、「1日1記事」をノルマにして、今のところは毎日欠かさずに記事を書いているのですが、だんだん書くこともなくなってきました(笑)

いや、私は書くことが好きだし、ブログのネタも頭の中にはいくらでもあるのですが、書きたいと思っているネタはすべて「長文」なので、休日の時間のあるとき&気力がないと、なかなか文章にして表すことができません。

といって、適当な文章も書けないし、どうしたものかと葛藤しています。

もちろんブログはこのまま続けるつもりですが、私自身が著名人やかわいい女の子だったのならともかく、「おっさんの日記」なんて書いても喜ぶ人間なんていないだろうし、困ったものですgawk

でもまあ、無理すると続けられないので、「適当」でもいいから、毎日なんでもお気楽に書いてゆくのがいいのかなとも思います。

だいたい、今書いているこの記事だって、なんのテーマも中身もない、「適当な文章」ですしね(苦笑)

今日はどうも気分が乗らないので、このへんで♪


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「アオドウガネ」

昔、実家の庭に飛んできたブイブイこと、「アオドウガネ」くんです。

初夏から秋にかけて、市街地でも全国的に普通にみられる甲虫です。

植物の葉を食害するので「害虫」ですが、それは人間からみた言い方で、彼らからすれば、生きるために植物を食べているだけに過ぎません。

金属的な緑色の身体が、うっとりするほど「綺麗」ですよね☆

実際、うっとりして、指に掴まってくれているコガネムシくんを眺めていました。

…なんで「脚」を上げてるのかは知らないですけどね(笑)